翌日。
今日も夕方からKが相手してくれることになった。今日は夕方お宿までお迎えにきてくれて、その後レアール地区を案内してくれるらしい。ほんと友達ってありがたいわ~。
今日は美術館巡りをするつもりで早起きしたけど、宿の人が言うには、壁がステンドグラスでできている
サントシャペル教会って教会が近くにあるらしいので行ってみる事にした。
教会内の見学路は1階と2階に別れてて、1階でぼけっとステンドグラス見上げてたら遠足っぽい子供たちに「写真撮るからどいて!(多分)」みたいな事を口々に言われた。
おいおい私も一応観光客だぞ。入場料やら交通費やら、パリにお金も落としてるんだし
(微々たるものだが・・・)中国人不法就労者を見るみたいな目で見ないでよねっ。とちょっとムッとしながら2階に移動してみると、わ~1階と全然違う!!ほんとに壁一面がステンドグラス~!!
キレイだけどこの教会の耐久性はいかがなものなのだろう・・・。 続いて昨日足早に通り過ぎたコンシェルジュリと、これまたステンドグラスが美しい礼拝堂、「パリの宝石」ことサント・シャペルを見学。この二館の共通入場券も、もちろん驚くほどのお高さ。いいもん、何かするたびに物価高に引きつるのも、あと2・3日だもん。。。
コンシェルジュリが美男王によって建てられたことは昨日も書いたけど、ここはフランス革命後、悲劇の王妃
マリー・アントワネット(
ベルばらよ永遠なれ!)
をはじめ何千人もの人たちが収容された監獄だったらしく。
展示されてる「ギロチンにかけられた人の名簿」で、
マリー・アントワネットと、錠前作りが趣味のいい人だった
ルイ十六世の名前が隣同士に書かれているのを見て、最後まで2人は夫婦として扱われたんだなあ。フェルゼン気の毒・・・などとしばしベルばらの世界に浸っていた。
アントワネットが収容されていた時に、ここで実際に使用していた水差しやクロスも展示されていた。フランス革命以前、一晩で何千ルーブルも賭博でスったり、ベルサイユ宮殿の中に自分と子供たちとお気に入りのとりまきだけが自由に入れるプチトリアノン宮を造ってみたり。
革命後も(「今日食べるパンもない!」と訴えるパリ市民の話を聞いて、
「パンが食べられないならケーキを食べればいいのに」とのたまったとか)贅の極みを味わったアントワネットが最後に使った家具は、この質素な水差しとクロス・・・それに、監獄の個室に入れられたアントワネットと、四六時中彼女を見張っている革命軍の兵士を隔てていた、たった一枚のついたてだったそう。。。
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり。。。
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