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800kmの巡礼路を共に過ごした戦友のような靴を
「お世話になったね。ありがと~」と、
頓着なく地のはての岬から海に捨ててしまえるあたり、
「あんなにあんなに愛してたけどもう死んじゃったから」と、
冷たい北太平洋にジャックを沈めたローズ(映画『タイタニック』より)を思い出してしまった。。。
これもキリスト教徒の死生観なのだろうな。カラダは魂の、クツは足(カラダの一部分)の単なる器だと。
ほんと、割り切っているなあ。「晴れた日も雨の日も、800kmも一緒に歩いてくれてありがとう」という感謝と共に
「巡礼の思い出」なんて名づけたこぎれいな箱か何かに大事にしまっておく、という発想はないのかしら。
寂れた町の岬から次々に海に投げ捨てられる靴を想像したり、
巡礼者たちはそこから裸足で帰路に着くのかしら・・・などと考えている間に、バスは
フィニステレに到着した。
さいはての町、というイメージからは程遠い。明らかに
ムーロスよりも大きく、活気がある。
「靴を捨てる為に岬に行く」というセニョーラ(おばさん)たちとお別れし、まずは宿探し。

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